今から200年程前の1804年にフランス人のニコラ・アペール(Nicolas Appert)によってガラス壜に食物を入れコルク栓で密閉、加熱殺菌を行い、脱気後、完全密封して壜詰とする食物保存法が完成した。これが缶詰の原理である。
アペールの考案したこの壜詰法は、1806年に行われた長期保存テストに合格した。
このような、ガラス壜や金属缶による貯蔵食品の開発は、ナポレオンの遠征時の軍用食料の調達が意に任せなかったために、1万2千フランによる貯蔵食品の製造法の懸賞募集が端緒になって開発された。
1810年に食品保存用として缶詰、つまり容器にブリキ缶を使うことを考案して特許を取ったのがイギリス人のピ−タ−・デュランドでしたその為、デュランドがブリキ缶の開祖とされている。
デュランドが使用した当時のブリキはホットディップ(ドブ漬けと呼ばれる方法)でした。我が国でのぶりきという名称はオランダ語のブリキ(BLIK)から来たものです。
初期(1810年頃)の空缶は職人が手作業で缶の胴・蓋を鋏みで切って作り、半田で接合していたその為、職人一人で一日に作れる量は60〜70缶程度で100缶も作る人は驚くべき人であった。
現在の原型が出来たのは1885年に缶胴接合部を自動的に半田付けする機械(サイドシーム ソルダリングマシン)開発され、1897年に液状(シ−リングコンパウンド)の発明・二重巻締め法の完成によってサニタリ缶(衛生的な缶)が出来た事による、1904年当時で毎分100缶程度であった。
この間にアメリカでは製罐事業と缶詰事業が分離した、其れまでは缶詰業者が空缶も作っていた。
我が国にサニタリ缶の自動製罐機が輸入されたのは1913年ですが、1917年に東洋製罐が創立されたことにより、我が国でも製罐事業と缶詰事業が分離する事になったわけです。
その後、種種の改良が行われスピ−ドアップが行われた。暫く半田缶の時代が続いたが現在は溶接缶・DR(2ピ−ス缶)が主流である。
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