日本におけるブリキ缶加工の始まりは、江戸時代末期の文化年間(1861~1863年)に「京都の竜門堂安之助という人が、当時輸入した品物の容器であった、ブリキ函を再利用して茶筒などを制作した」と言われています。
一方18リットル缶につきましては、明治維新により欧米文化が文明開化と云うことで入って来ました、その中に1876年(明治9年)に横浜を拠点にしていた、イギリスのサミエル商会が18リットル缶に詰めた灯火石油の販売を始め、「石油製品」が家庭用・工場作業場の光源として、全国津々浦々へ非常な勢いで普及して行くにつれその「空き缶」の丈夫さ・軽くて使い良さ手軽さが好まれ再利用する人が次第に増え容器として大変に重宝がられるようになって来ました、それまでの日本人は生活に必要な液体や固体の生活物資の保存・運搬容器としては主に「樽」・「瓶」・「壺」等が使われていましたが「重い」・「割れやすい」・「高価」等の難点があり、需要が増大し輸入容器だけでは不十分となり、1897年(明治30年)に外資系の石油会社が石油の容器用に自家製罐したのが我が国で初めてと言われています。
独立した18リットル缶メ-カ-としては、1917年(大正6年)に外資系石油会社の設備を横浜の製罐会社が買い取り生産を始めたのが国産化の第一歩と云われています。
その後18リットル缶の需要も次第に増加し、1935年(昭和10年)頃には全国で30社を数えるまでになりました。更に終戦後自由競争時代に至ると業者の乱立により、1955年(昭和30年)頃には18リットル缶メ-カ-の数が全国で60社以上にも達しました、その後も増え続け1963年(昭和38年)がピ-クで75社を数え以降年度により多少の増減は有りましたが、現在は43社が全国18リットル缶工業組合連合会の加盟社数であります。
又、18リットル缶と言う名称はその容量が約一斗であった事と最初は石油のみに使用されていたことから、古くは「一斗缶」又は「石油缶」と呼ばれていましたが、戦後は主として「五ガロン缶」・(1ガロンは3.78リットル)と称されていましたが1959年(昭和34年)にメ-トル法の実施に伴い日本工業規格(JIS)が改訂され缶の正式名称が「18リットル缶」と呼ばれ現在に至っています。
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